【Vol.261】前向きを考える

 私のこの仕事、実に多くの人と関わり、その方々に教えられて成り立っているのですから、本当に有難い事です。しかし稀に、嫌だと思うこともあるのです。それは、後ろ向きの方とご一緒する時です。何をするにも、嫌々(いやいや)と、後ろ向きな方が居るのです。そんな時、どうせやらなければいけないのだから、前向きにやった方が楽しくなるのだろうにと、いつも思うのです。

 しかし、なぜかそのような方は嫌々を変えようとせず、本当に不機嫌なのです。こんな人と一緒に仕事をしていると、周囲の人も不機嫌にしてしまい、つられて一緒に、暗く落ち込んでしまうのです。敢えて言わせてもらえば、このような後ろ向きの影響力、何の役にも立ちません。一体、何で嫌々なのでしょう。嫌々を ”否々”と 書くこともあるくらい、人の言うことを否定し、何かに付けてブレーキとなる、この嫌々の人、何とかならないものでしょうか。

 多分、後ろ向きに考える人にも理由はあるのでしょう。例えば、失敗した場合を想定して不安になったり、新しい事に対する戸惑いもあるのでしょう。でもそれは、何をするにもつきまとうことで、初めから何の問題も無い話なんてありません。繰り返しますが、どうせやるなら前向きにやってみればいいじゃありませんか。

 こんな事を考えていたら、フッと、ひょっとして人間は最初から前向きに生まれているのに、変に知能が発達した結果、後ろ向きな考え方を持つようになったのではないか。もともと人間は前向きで、後ろ向きの人が現れたのは、人間が生きる環境に、社会という複雑な構成要素が加わった、ごく最近のことではないかと思うようになったのです。

 だって、そうでしょう。人間の身体のつくりはなんと言っても前向きですよ。目は前を見据えていますし、鼻も前についているし、口も前に向かって開きますし、耳も前からの音を聞くように付いています。

 おしっこだって前に向かってするようになっていますし、歩く時も前に進みます。ものを投げる時も後ろに投げる人はほとんどいませんし、サッカーだって、後ろにパスをするのは至難の技、ごく一部の一流選手しかできません。昔、かかとに目があると言われた横綱の若乃花も、それだけ、土俵際が強かっただけで、かかとに目があったら、砂が入って大変ですよ。

 要するに、挙げればキリが無いくらい、人間の身体はもともと前向きなのですよ。ですから、言いたいのは、身体と同じように、前向きに生きましょうということです。身体は前向きなのに、気持ちが後ろ向きなんて、自然ではないのです。人間は、生まれた時から身体も、そして心も前向きに出来ているのです。

 如何でしょうか皆さん。人間はもともと前向きに出来ている。だから、前向きになるのが自然な姿で、後ろ向きな人はイレギュラーなのです。

 ですから、これから後ろ向きな人に出会ったら、 ”ねえ、自然にしましょうよ”、私はそう言おうと思います。皆さんもそうしませんか。

 なんですって、そう言う私は前向きかって? 冗談じゃありません、私、後ろを向いた事はありませんよ。えっ、それは首が回らないだけだろうって、そりゃありませんよ…。