【Vol.254】黄門様になりたい

 私、実は、黄門様になりたいのです。いやいや、誤解しないでください、偉い人になりたいというのではなくて、水戸光圀公(水戸藩二代目藩主・水戸黄門)の本質を考えれば考えるほど、いいなあと思う、そのお話です。

 さて、開発のお手伝いをしていて、いつも問題になるのは、掛かるお金に対してどれだけの成果が得られるか、つまり、投資対効果はどれくらいあるのかという事です。この時エイヤッと、開発の責任者が決めてしまえばいいのですが、なかなか、そう簡単には行かないもの、特にコストが厳しい最近では尚更です。

 ですから、もしも開発にお金が掛らず、いきなりヒット商品が出来れば言う事無し。ですが、そんな夢みたいな話、今まで聞いた事はありません。

 ここで、黄門様のお話ですが、黄門様は非常に開発型だったそうで、それは遺された逸話から見て取れます。例えば、日本で最初にラーメンを食べたとか、チーズ、牛乳酒、更には、生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉が制定)を無視して、牛肉、豚肉、羊肉を食べていたのだそうです。また、オランダ製の靴下、今で言うところのメリヤスを愛用したり、ワインを愛飲し、手打ちうどんを自ら打つ事もあったといいます。

 今から三百数十年も前の江戸時代、いくら藩主と言えども、まさに型破りの開発型トップと言ってもいいと思うのですが、何より私が好きなところは、家臣の殉死を禁じた事です。当時、最大の忠義であり奉公と言われた家臣の殉死、それを一切禁止したのは、まさに人間性溢れる事、黄門様は、今でも称賛される名君でもあったのです。

 後に、テレビの水戸黄門漫遊記で有名になりましたが、皆さんご存じのように、このお話は殆どフィクションで、実際に黄門様は全国を旅した事は無く、遠いところでは鎌倉あたりまで、そのくらいしか、旅には出た事が無いそうです。しかし、今になっても、これほど多くのファンがいるのは、実像のお殿様とフィクションとしてのお殿様、その絶妙な “さもありなん”が受けているということでしょうか。

 さてさて、ここからが本題です。何故、私は黄門様のようになりたいと思ったのか、それは、このテレビを見ていて感じた事が始まりです。フィクションを見て、しかもそれがきっかけなんて無責任もいいところだ、そういうお叱りもありましょうが、そこは夢みたいなお話とご勘弁、もう少し聞いてくださいな。

 私が感心したり感動するのは、いつも黄門様は誰にも頼まれるのではなく、悪いヤツのいるところに、こちらから出掛けて行くことです。勿論テレビですから、そういうシナリオになっていると言えばそれまでですが、とにかく頼まれもしないで自分の意思で行く。しかも死ぬかも知れない危険が待っているのに、です(これも、主役だから絶対に死ぬ事は無い、と仰る方もおりましょうが、そこは、繰り返しご勘弁を)。

 要するに、黄門様という人は全部自分の意思で、しかも、これまた全部自分の費用でお供の者(助さん、格さん、うっかり八兵衛、風車の弥七、かげろうお銀、などなど)達も連れて行き、そして、ここが一番すごいのですが、悪いヤツがいるのを知ると、その悪人たちを勝手に(つまり、頼まれもしないのに、義憤にかられて)、倒してしまうのです。

 いやいや、これほど胸のすく話はありません。テレビの人気が今も続いているワケも分かりますが、黄門様の本質は、全部、自己責任。誰に負担を掛けること無く、より良い方向を目指して、自らが真っ先になって問題解決に取り組んで行く姿です。それは、言い換えれば究極の開発行為ではないかと思うのです。

 ですから、私は黄門様(のよう)になって、開発をしたいのです。勿論、私に同じ事が出来る訳はありません。しかし、頼まれなくても自ら進んで、しかも全部、自己責任で開発がやれるなら、こんな愉快で幸せなことはないと思うのです。

 皆さん、お分かり頂けたでしょうか。私の理想は黄門様。これからも、ずうっと、そうなりたいと思い続けて参ります。

 あっ、そうそう、そう言えばSI社員もテレビの出演者に似てきましたよ。助さんと格さんでしょう、弥七もいますし、お銀もいますよ、ちょっとタイプは違いますがね。そして、ちゃんと(?)うっかり八兵衛もいるのですよ。えっ、それは誰だって? ははは、内緒にしておきましょう。言ってしまうと、少し問題になりますからね。ふふふ。