【Vol.239】牛乳びんのフタ(その1)

 変な話ですが、私の人生には二つの転機がありました。その最初の転機は小学校3年生の時でした。実は私、生まれたのが仙台でして、その後、実家の静岡に帰ったのですが、東北訛りが抜けない為に、それはそれはいじめられたのです。
 そのいじめられっ子がある日突然、文字通りのガキ大将になった事件。これが私にとって、人生初の転機です。まるで、猿山のボス猿が一夜にして交代した様な事が起きたのです。まさに、劇的な政権交代のような出来事でしたが、そのきっかけが、実は、牛乳びんのフタなのでした。

 説明が必要です。昭和の30年代、遊び道具が少なかった当時は、牛乳びんのフタで遊ぶことが子供たちの間では流行していました。メンコもありましたが、キレイに取り外した牛乳びんのフタは、それはそれは貴重品のようでした。丁寧に乾燥させて、ピンと伸ばし、遊び道具として持ち歩いていたものです。
 遊び方は、フタを机のような平らな所に、それぞれ対戦相手同士が並べ、相手のフタを口でパッと吹いてひっくり返すのです。フウッと吹いてはいけません。唇を合わせて歯で抑え、一気に解放してパッと吹くのです。ひっくり返したフタは自分のものになり、ひっくり返されたら取られてしまう、そんな単純なルールです。ひっくり返されないように、フタの周囲を真っ平らにして、隙間から空気が入り込まないよう、独自の角度調整をするのがノウハウです。
 この遊び、どちらかと言うと強かった多喜少年、おのずとフタの所有数(獲得数)は多く、いつも重ねて持ち歩き、その数の多さを自慢げにしておりました。でも、いじめられっ子の多喜少年は、身体は大きいのに引っ込みがちで、ケンカをするようなことは皆無でした。

 事件は突然起きました。多喜少年にとっては一番大事なそのフタを、当時のガキ大将が何の理由もなく、取り上げたのです。多分、文句も言えない多喜なら大丈夫、そう考えたのでしょう。しかし、それまではケンカもしないし、何かを言れても黙って従っていた多喜少年、その、あまりにも理不尽なガキ大将の行いに、(今でも覚えていますが)私は命を懸けてもよいというくらいの憤りを覚え、まさに無我夢中の境地、或は自然に体が動いたのでしょうか、右からのアッパーカットの一撃を喰らわせたのでした。

 それは、一瞬の出来事でした。その一撃で、ガキ大将はのけぞり倒れ、起き上がることができません。殴った多喜少年自身もビックリしましたが、ガキ大将も、痛いより驚いた様子でした。多喜がこんなに強いなんて、誰も想像していなかったのです。
 そのとき、周りの取り巻き(ガキ大将の子分達)は、多喜少年の強さに驚くとともに、畏れ、多喜少年を新しいガキ大将として認めたのでした。

 まあ、ドラマ風に言えばこのような事ですが、その一瞬は、私の人生を大きく変えたように思います。いじめられっぱなしの私が、あまりに理不尽な行為に耐えることが出来ずに、勿論、暴力はいけないことですが、毅然と立ち向かう事の大切さを、生まれて初めて体験したのです。
正しいことをする、悪いことに立ち向かう事を(繰り返しますが暴力はいけませんが)学んだ瞬間でした。
 その日から、私は成績優秀(本当に勉強はできましたよ)なガキ大将となりました。それも、集団で弱い子をいじめるような、徒党を組む隣町の悪ガキ大将に果敢に挑む(ケンカはいつも一人で行きました)、正義のガキ大将となったのです。

 その、思い出の牛乳びんのフタ、同じように子供のころに遊んでいたという人に、出会ったのです。
 
つづく