【Vol.209】奈落の底に自分で降りる

 とにかく、大変です。100年に一度の大不況、私は「有史以来の大不況」と言った方がよいと思っています。それだけ、今まで誰も経験していない大規模で深刻な大不況です。勿論、私のクライアントも大変ですが、業種や業態を問わず同時一斉ですから、例外ナシ、誰を恨んでも始まりません。
 そんな大不況、あちこちで「奈落の底に突き落とされた」と言う声が聞こえます。それも分かります。昨年の夏を過ぎるまで、一体、誰がこの状況を予言できたでしょうか。今になって「その兆候は一部に出ていた」なんて、したり顔の評論家も居ますが、それは後付け、本当に誰もが戸惑うばかりです。正に、奈落の底に一直線に突き落とされた、そんな感じです。坂を転がり落ちるのではなく、気が付いた時には奈落の底、真っ逆さまに落ちてしまったのです。

 でも、くさっていては何も起こりません。クライアントの中には、この非(異?)常時だからこそ、普段出来ないことをやってしまおうという、超前向きな経営者も居られます。何と、自分から奈落の底に落ちてしまおうというのです。厳密に言えば、落ちるのではなく、降りるのだそうですが、どうせドン底に行くのなら、自分の意志で行こうじゃないか、という訳です。 奈落の底に突き落とされること、それは文字通り、誰かに不意に背中を突かれて落ちていく様を言います。自分の意志ではありませんから、それはイヤなことです。あがき、もがき、苦しみながら落ちていくしかありません。しかし、奈落の底に自らの意志で降りるとき、その底は、案外、居心地が良いのかも知れません。

 ものは言いよう、考え方です。確かに、他人に突き落とされたと思えば、誰かの仕業ですからその犯人を探さなければいけませんし、その相手に償わせる必要も出てきます。しかし、自分から降りた場合は誰のせいでもありません。誰かを恨んだり、失ったものを元に戻せとも言わないでしょう。そうなんです、奈落の底に自分で降りると、結構、気楽になるかもしれません。自分で降りるのですから、自分のペースで降りればいいですし、降りる道が混んでいるようなら、他の道を探して効率よく降りればよし。つまり、ドン底へ行く道にも選択肢があるということなのです。

 さあ皆さん、奈落の底に降りましょう。それも、自分の意志で降りましょう。残念ですがこの大不況、自助努力でカバー出来る限界を超えています。ならば、下がり続ける業容を、自分の意志でドン底までに下げてしまうのです。
 そうして、もうこれ以上は落ちない所に自分が立ったその時に、一息ついて上を見てみましょう。きっと、これから登る道筋がハッキリと見えることでしょう。
 奈落の底に、身を置くことも経営です。

 えっ、SIはどうかって? ははは、SIは大丈夫。だって、いつもドン底ですから、上しか見えないのですよ。(笑っている場合じゃないかも…)