【Vol.208】卒業式に想うこと

 卒業式の季節。仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも はや幾年……、サクラの季節になりますと、あちこちでこの歌が聞こえます。高揚した気持ち、同僚と別れなければならない淋しさ、漠然とした不安感。そんな卒業式は正に悲喜交々ですが、卒業生だけでなく、送り出す立場の人にも、様々な想いがあるのではないでしょうか。そうなんです、梁山泊のような会社にして、ビジネスの豪傑を世に出そうとしてきた私にとっても、実は、卒業式にダブる想いがあるのです。サクラの季節に、送り出す立場の私のキモチ。ちょっと書かせてもらいます。

 卒業とは、文字通り学校の全過程を履修し終えることです。私の会社で言えば、一つの業、任務を終えることです。そして自らが、会社を通じて学んだ知識を基に、自立する為に退社することが卒業です。元々、「梁山泊的プラットホーム」をビジネスモデルにしている私にとって、卒業生が出ることは本当に嬉しいことです。やがて一人前になって、自らの道を拓き、独自のクライアント、つまり自らが創り上げたご縁を、いつの日か、私の持つご縁と結び付け、また新しい道が拓ける。そうなることが、いつも言う、フィールド・アライアンスを実践することですし、クライアントへのサービスにも繋がります。
 この卒業、学生にも、私の会社にとっても大事な節目なのですが、気になることもあるのです。それは、卒業したのにいつまでも、今まで居た所の周辺をウロウロしている者がいることです。卒業とは、文字通り卒業して新しい道を歩む筈なのに、そのケジメがないのです。卒業はしたけれど、付き合う人は以前と同じ。ビジネスフィールドも、かつてのエリアの範囲内。そんな、元の所の周辺をウロウロしているのです。プロとして自立する為には、新しいご縁が必要なのに、それを創ろうとしない、或いはその重要性に気付かない、いつまでも中途半端な環境に甘えている、そのような者がいるのです。これでは、本当に卒業したとは言えません。 そういう意味で、卒業とは、それまでいた学校であるとか会社であるとか、それまでとは違う、全く新しいご縁を創らなければ、本当に卒業したことにはなりません。もっと言えば、それまでのご縁を、自ら断ち切るくらいのことをしなければいけないと思うのです。
 これは、周囲の人もその意識を持つべきで、せっかく卒業したのに、それまでの付き合いをズルズルと続けていては、巣立ちの邪魔をしているようなもので、結果として、本人の自立を妨げているのと同じです。

 ところで、我がSIにも立派な卒業生がいるのですよ。この卒業生、SIに入社する以前から弁理士の資格を持っていて、特許事務所を開設したのです。その卒業生から久し振りに近況メールがありました。独自の顧客を獲得することに一生懸命だったようで、音信不通とは言わないまでも、本当に久し振りのメールです。新しいクライアントが出来たこと等、控えめながらも、チョッピリの自信が読み取れます。そして、「経営者になり、人を雇って初めて、給料を払う立場の苦労が解りました…」とも書かれていました。
 独立して、業容も大きくなり所員を雇うまでになったのでしょう。しかも、SIの人脈に頼らず、新規の顧客を獲得することに全力で取り組み、ようやく人を雇えるまでになったのですから大したものです。自分で言うのも変ですが、送り出した者として、これほど嬉しいことはありません。見事に、自身のチカラで飛び立った、本物の卒業生です。

 サクラの季節に想うこと。本当の卒業とは何かを考えました。