【Vol.202】ジェネリック社会

 ジェネリックという言葉があります。無印の、ノーブランドの、一般の、或いは商標登録されていない(知財が無い)もの、というような意味です。最近では、医薬品で特許が切れて製薬会社が一斉に製造し、特許薬品より安く販売するお薬のコマーシャルで知られるようになりました。顧客から見れば、大幅に安いのに効き目は同じ訳ですから嬉しいのは当り前です。

 このジェネリック薬品、よく考えてみると、特許薬品を開発して先行利益を受けることの逆で、特許が切れるのを待って製造する後出しジャンケンと同じ、要するに「特許切れ、誰が作っても安くなる」という理屈です。患者さんにとっては嬉しい仕組みですが、よくよく考えると、何の競争力もありません。安いのですから、ある程度は売れるのでしょうが、参入メーカーが増えれば自ずと価格競争に陥り、結果、元の木阿弥になってしまいます。

 さて、最近の社会情勢、このジェネリック薬品と同じように見えるのは私だけでしょうか。サブプライム問題から始まった世界的な不況、見方を変えれば、ジェネリック状態ではないかと思うのです。あちこちの講演でも言っているのですが、今回の不況、情報の相互信用が崩壊した途端、殆ど全ての商品やサービスが、一斉にダメになってしまいました。このことは、いずれの商品やサービスも、実は同じようなものではないか、そう顧客が判断した結果だと思うのです。確かに、未曾有の不況ではあります。しかし、何でもかんでも同じようにダメになるのは、みんな同じであることの証明と言ってもいいでしょう。先に書いた、無印の、ノーブランドの、一般の、そして知財が無いものが、世の中に溢れていたという、それだけの話です。

 そんな、天邪鬼(あまのじゃく)みたいなことを言うな、と言われるかもしれません。しかし、特徴ある商品が売れているのを見れば分かります。クルマでも、落ち込んでいないものがありますし、それは魅力的な特長があり、顧客の厳しいお眼鏡(選択眼)に適うものです。
 他にも、逆張りというのでしょうか、海外旅行がダメなら、お家でゆっくりとお正月、だからおせち料理が売れるはずと、例年以上に高級品を開発して、予約が一杯になっている会社もあると聞きました。それはそうです、いくら超弩級の不況でも、生活者全員が冬眠する訳ではありません。
 何かを我慢する代わりに、それを補うニーズが出現するのは道理です。どのように社会情勢が変わっても、ニーズが絶えることはありません。いつか書きましたが、たとえ浜の真砂は尽きるとも開発の種が尽きることは無いのです。

 如何でしょうか皆さん、今回の不況、知らず知らずに、世界中がジェネリックになっていたと思えばいいのではないでしょうか。金融工学という、訳の分からぬ金融手法にみんなが乗って、誰彼となく、みんな同じものを求めた結果、みんなと同じように不況になってしまった、その構図ではないのでしょうか。
 未曾有の、超弩級の不況。間違いはありませんが、それをジェネリック社会の結果だと思えば抜け出す道は見えてきます。何回も書きますが、無印の、ノーブランドの、一般の、そして知財の無いものがジェネリック。ならばその逆、知財の競争力を持つ新事業・新商品を開発すること、それが唯一の道なのです。

 さあ皆さん、ジェネリック社会から脱出しましょう!