【Vol.182】困らないふりが、困る

 最近、気になることがあります。それは、「ネットカフェ難民」、「ニート」、「ワーキングプア」などと呼ばれる人が、テレビ等の取材に応じて語る姿です。
ビックリしたのは、男性ばかりではなく女性も多いことです。あるネットカフェで取材を受けた若い女性は、「あまり、お風呂やシャワーにいけないので香水でニオイをごまかしているの」と、ニコニコしながら屈託なく話していたのです。
気になるところというのは、この人の屈託のないところです。沈鬱(ちんうつ)な感じかというとそうでもなく、むしろ困ってはいない感じがするくらいです。自らが置かれている境遇に満足している筈はないのでしょうが、それにしても、困っている様子がないのです。

 ここなんです、誤解を恐れずに言うと、ちょっと違う気がするのです。何が違うって、先ず、困っているのなら、もっと困っているようにした方がいいと思うのです。もっと気合を入れて困って欲しいのです。その人は、奥ゆかしいお人柄かもしれませんが、困っている様子がないと、困っていること自体が伝わらなくて、何かをしてあげたくても、してあげられないこともあるのではないでしょうか。
 困ったふりを、ことさら強調するのは如何かと思います。でも、困っている様子が伝わらないのは、結果、困っていない(と思われる)のと同じです。
 テレビの取材もそのような感じで、「困ったことです」と言いながら、一種の社会現象であるかのような報道姿勢に見えます。ネットカフェの客の中にそのような人がいる、という視点での取り上げ方です。ですから、恐らく政治家も「まあ、困ったなぁ」、くらいのことで考えているのではないでしょうか。要するに、誰もが本当に困っていないのです。
 困っていると思ったら、案外、困った様子ではない。実は、そうして大切なことが後回しになってはいないのか、気になるのです。

 繰り返しますが、困っているときは、気合を入れて困らないといけないのです。本当に困ったら、何とかしなければ、何とかしようという、強い自覚が必要です。もしも、どうせ変わらないのなら、パワーを使っても仕方ないという考えがあるとしたら、それは絶対間違いです。それでは何も変わらないからです。
 私自身、若いとき本当に困ったことがありました。その時、その苦しみから逃れようと、深く考えるのを止めてしまったり、忘れよう、気を紛らわそうと、今思えば、自身の気持ちに知らぬ振りを決め込んだこともありました。でも、所詮、それは問題の解決にはならず、困った状態が続いただけでした。
 で、どうしたかというと、ワーワーと困るようにしたのです。「調子が悪いようだがどうした?」と言われたら「困っている」と、そのまま言ってしまうようにしたのです。確かに、格好は悪いけど事実なんです。そうして、いろいろな人に助けられました。
 一番助かったのは、自身が事実に真正面に向かうことが出来たことでしょうか。
 私の場合、困った時には、本当に困ったという自覚を深めることで、問題が解決したのです。ですから、今でも困った時(これが、なかなか無くならないのです、困ったもんです)には、う~んと困るようにしています。気合を入れて困るのです。

 如何でしょうか、皆さん。困った時には、声を大にして困りましょう。
 また私、困ったら騒ぎます。そのとき、本当に困っていると思って頂けたら、(「日頃の行い」もありましょが)助けてくださいね。
 そう、困らないふりが、困るのです。