【Vol.165】玉成産業

 玉成(ぎょくせい)という言葉があります。普段、ほとんど使わない言葉ですが、ある業界では当り前に使っています。金型の業界です。
 本来の意味は、「立派な人物に育てること」或いは「仕事や研究などを十分高く深い内容にすること」だそうですが、金型業界での意味は、金型の最終的な摺り合せ、つまり、設計通りに加工した金型を、試し打ちしながら最終製品の形になるよう、細部の出っ張り引っ込みを微調整する作業のことを言います。
 最新の金型加工機は、入力したデータ通りに自動的に加工します。しかし、材料の特性やワークの図面には表せない形状的な特性などにより、それだけでは完璧な金型は出来ません。最終工程で、この玉成という作業が必ずというくらい必要になるというのです。

 何でこの玉成という言葉が出たかというと、中国シフトの話になった時です。
 今時、金型産業も御多分に洩れず、金型を作るのもとにかく安いからと、何でもかんでも中国にシフトするばかりで、国内の金型産業が弱くなっているという話になった時です。
 ハッとしたのは、「でも結局、玉成はこっちでやるしかないのだから…」とクライアントのご担当が呟いたときです。「えっ、玉成は未だ日本でやるしかないの?」思わず聞き返しました。「そりゃあそうですよ。玉成技術はまだまだ負けてはいませんよ。きっと、ずっと彼らには真似出来ないんじゃあないですかね」。
 ご担当は自信満々です。更に、「確かに最初は安いのだけれど、玉成する為に金型が中国とこちらと行ったり来たり、運送費だけでもバカにならない金額になって、結局、何にも安くはならないのですよ」。
 そう言われると、日本のお客様はうるさいですよね。プレス製品などでは、その仕上がりには特にうるさく、少しでも寸法が合わなかったり、シワ、ウネリ、ソリ等々、それが顕微鏡でなければ判らないくらいチョッとでもあれば、即クレームとなってしまいす。

 このお話、私は嬉しかったのです。本当に嬉しかったです。
 だってそうでしょう、玉成という技術は負けないのですよ。冗談じゃありません。日本の技術が負け続けるなんて、冗談じゃありません。正直、自動機で作るものが負けるのはただコストだけだと思っていたのですが、聞く話はそうばかりではありません。熟練工といった分野でも負けるかもしれない…、そんなことを聞くと、少々弱気になっていたのですが、(何回も言います)冗談じゃありません!

 皆さん、これからのニッポン発の技術を「玉成技術」と言いませんか。
 そして、この玉成という言葉にこだわりませんか。「立派な人物に育てること」。「仕事や研究などを十分高く深い内容にすること」。
 いずれも資源の無いわが国にとって、唯一、知的資源しか産出できないのですから。
 さあ、これからは玉成産業です。エイッ、エイッ、オー!