【Vol.163】責任の無い人の責任

 今回は、責任の無い人の責任はどうする? というお話です。
 開発で大切なことは、アイデアに多くの知恵を重ね合わせ、新事業や新商品を創造していく前向きな姿勢です。最初のアイデアだけでは(当たり前ですが)事業や商品としては未完成ですから、あるべき姿の仮説を立て、そこにアイデアを付加していくのです。
 仮説とは、自分が顧客としてどのようなサービスや商品が欲しいかという「ニーズ」でもありますから、できるだけ多くの仮説を考える必要があります。そして、ワイガヤで議論してブラッシュアップしていくのです。
 実は、その場に一番大切な(ルールと言っても良い)ことは、出されたアイデアや意見を尊重し、決して頭から否定しないことです。議論する前から否定したのでは、誰もアイデアや意見を出すのがイヤになってしまいますし、第一、否定するよりはこうして欲しい、ああした方が良いと、前向きに考えるほうが楽しい筈です。なのに否定するのは、自分が顧客の立場にはならないということで、極論すれば敵前逃亡と同じです。

 そこで問題なのは、そのような人が案外多く、仮説を立てる最初のときから「ダメだったら自分の責任はどうなるのだ?」と言うことなのです。
 仮説ですよ、仮説。自分が顧客の立場で考えればよいだけのことです。顧客の立場で嬉しければウレシイし、もうチョッとこうすればよいと思えばこうしようと言えばよいし、違うのなら、違うと言えばよい、それだけのことですよ。それなのに、何故、自分の責任の話になるのでしょうか。皆さん、これで腹が立たない訳はないでしょう?

 何故そうなるか、今度はその仮説です。
 大体、否定的なことを言う人のお立場は管理職が多いようです。この、管理職という立場を考えてみましょう。
 私が考える管理職には二種類ありまして、一つは規格大量生産時代の物の管理者と、もう一つは人(社員)の管理者です。物の管理者は、不良品が発生すると大変なことになってしまうので、とても大きな責任を負わされています。一方、人の管理とは働きやすい環境を整備することでもあり、どうしたら明るく効率的な職場にすることができるかというお立場です。社員の立場に立って如何に働きやすい職場にするか、いつもアイデアを出さなければなりません。

 もうお分かりかと思いますが、否定的なことを言う管理職は、物の管理をしてきた人が多いようです。言うまでもなく、アイデアを創出するのは人でして物ではありません。ですから、物の管理をしてきた人が、人の、しかもアイデアを創出する場で、その管理をするということ自体がナンセンスなのです。
 結果や成果の責任は何も無いのに、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」的に責任を恐れるという、なんともおかしな話です。資源の無い国ですから、知恵という資源を発掘し、新事業や新商品開発を進めなくてはいけないのに、こんなことでは始まりません。

 皆さん、本当の話です。こんなことが開発の現場でブレーキになっているのです。
 一体、責任の無い人の責任はどうするのでしょうか。ねぇ。