【Vol.121】先質の時代

 剣道の稽古で使う言葉に、「先々の先(せんせんのせん)」というのがあります。相手が自分を打とうとするその先に、こちらが先に相手を打ってしまうことです。こちらも相手も、先に打とうとしているのですから、相手の先の、その先の機先を制して打つ、極めて高度な技です。相手の剣先(剣道ですから竹刀ですが)を見ていてはダメで、相手の全体像、もっと言えば心の中までを見抜いて、先に打つのです。心と心の内面的な「静」を制して、一躍「動」に転ずる、その瞬間に様々な技量が凝縮された稽古です。
 そのような、稽古を重ねて最高レベルになると体得できる「先々の先」が、ビジネスの世界にもあることを、最近、知りました。 ビジネスの世界の先々の先。それは、品質を追求する日本企業の求道的な姿です。ご承知の通り、日本企業の品質に対する取り組みは、世界的にも先進的なものです。そして、そのレベルも最高と言っても過言ではありません。その、品質ではトップを走る日本企業の、そのまたトップ企業に異変が起きているようです。

 皆さんは「ISO」をご存知かと思います。国際標準化機構が認定する国際規格のことで、ISO9000シリーズは品質に関する規格ですし、ISO14000シリーズは環境に関する規格です。その国際規格の認定や認証を得ることで商品を世界中に展開して国際化を果たした企業が、もうISOは卒業したと言い始めたのです。勿論、ISOに「卒業」という認定などはありません。卒業したとは、企業自らが言っていることですが、その背景には、ISOの規格より、自らが定めて運用している自主規格のほうがより厳しく、より実態的な効果があるとの判断が働いているようです。当初、国際規格をクリアすることを目標とした企業が、今や、そのレベルを追い越し、新たな目標を自らが設定して、自らの倫理に基づいて管理することにした…。そのような企業が増えているというのです。

 国際規格より自主規格のほうが厳しい。まるで、より厳しい課題を自らに与えてトレーニングに励むスポーツ選手のようです。与えられた課題をクリアすると、その「踊り場」に安住して成長が止まる多くの企業を尻目に、もっと先、もっと高いところを目指す先進企業の品質に対する取り組み、そこに、私はビジネスの「先々の先」を感じたのです。
 品質に対する先々の先のことを、私は「先質(せんしつ)」と呼ぶことにしました。先質を、顧客のほうから求める訳はありません。顧客は、国際規格で満足しているからです。顧客自らが、世間の最も厳しい標準である国際規格の、更にその上を求める訳はありません。しかし何故、このように厳しい先質を求めなければいけないのでしょうか。理由があるはずです。
 多分、それは企業が進化する過程で醸成される、求道心とも言うべき「本能」ではないかと思うのです。もっと良くなろう、もっと高みに行こう。そう考えて行動する企業は、きっと、そのような求道的な信条に達するものだろうと、思うのです。

 剣道の先々の先は、あるレベルになると体得したくなる、大袈裟に言えば「奥義」でもあります。しかしそれは、誰にでも出来るものではありません。
 先質という奥義を求め続ける企業だけが、より強くなって行くのです。