【Vol.111】波長

 「波長が合う」と言うことがあります。何かしら気が合ったようなときとか、仕事を一緒にしていて妙に上手く行くときなどに使います。波長とは、電波などの位相を等しくする二点間の距離のことですが、電波を人間が発する訳は無いのに、電波で交信をするように、このように言うのは何故なのでしょうか。
ついこの間も、こんなことがありました。

 随分前に知り合った方からの依頼でした。「今度地元の財界の方々が投資会社を作ることになり、自分はそこの監査をすることになったのだが…」。要は、その会社の投資先についての目利きをしてくれということです。「私より他の方がいらっしゃるでしょうに」。そう言う私に、「だって波長が合うのは多喜さんですから」。「波長」と言われて、ピクッとしました。私の好きな言葉です。

 そう言えば、私自身も波長という言葉をよく使います。もっと言えば、波長が合うか合わないかで人を選別しているのかも知れません。初めて会う人をどうみるか。とても大事なことですが、予め仕入れた情報はあてにはなりません。会ってから、「随分と違うな」と思うことは多く、考えてみれば、文章にすると、その人の「人柄」は作られてしまうことが多いようです。私も、そういう意味では騙されたこともあり、また、結果として騙したこともあったのかも知れません。

 そこで、この波長です。電波で交信するときに、波長が合わないと交信できませんから、自ずと波長が合うか合わないかで交信できるか出来ないかが決まります。相手を調べたりする必要もなく、波長が合えば通じるし、合わなければ関わり合うこともありません。
 人間関係も、この波長をあてにすると楽で、しかも案外確実です。予め仕入れた情報は、実は雑音(ノイズ)にまみれていることが多く、私達はそれに惑わされてしまいます。波長をあてにすれば簡単で、合うか合わないかは、その人固有の波長を送受信するアンテナが決めてくれます。

 こんな風に書いていて気付きました。実は、人間は本当に電波を出しているのではないかと。
 そうだとすれば、雑音にまみれた人と、キレイな音色の人…。
 ちゃんと、見極めることができるようになっているのでしょうネ。