【Vol.74】『結い』の本質

 古来からわが国では集団作業の呼び方に「結い」(ゆい)と言うものがあります。農業などでは集中して農作業をする必要があり、お互いに力を貸し合うことで助け合ってきたのです。
 合掌造りで有名な岐阜の山間地にある白川郷でも、その大屋根の茅葺を葺き替える時には集落の人たちが総出で助け合いますが、やはり結いと言うそうです。
 結い。
何と耳に優しい言葉でしょうか。厳しい作業もあるでしょうに、皆で助け合う事の大切さを、この優しい響きで包み込むような感じがします。

 この言葉に興味を持って調べてみたら、結いを「手間換え」(てまがえ)とも言うとの表記を発見しました。
 てまがえ。何という本質的な表現でしょう。文字通り、手間を交換し、皆で助け合おうという言葉です。物々交換ならぬ、手間を交換する。その本質は、手間に対して手間で報いるというものです。

 一体、いつから私達日本人はこの様な事を忘れてしまったのでしょうか。 それは多分、何でもかんでもコストに置き換えて計算する事に慣れてしまったときからではないでしょうか。人件費があり、経費が掛かり、費やした材料費、運賃、交通費、何やらかにやら…。
 そうです、何でもお金に換算しないと気が済まないのです。昔、お互いに助け合う事に費用を算出し、その対価を要求することなどありませんでした。そんなことをしたら、絶対に成り立たない筈です。本来、一つの目的に向かって、皆が良くなろうとする時、その経費を計算したら誰もやりません。収穫があるまで何の収入も無いのに、それに至るまでの経費は全て後ろ向きの経費としてしか計上されないからです。

 今、私達は全ての行動や作業、考える時間に至るまで、お金に換算して計上します。そしてその結果が、人件費の安い中国を始めとする新興勢力に、ことごとく負けてしまっているというのが現実です。
 知恵もあり、物作りの技術も一流のこの国が、コストというお金の計算になると負ける。こんな理不尽なことがあるでしょうか。

 お金に換算したら負ける。そうだとしたら、お金に換算しない事です。
 知恵も、技術も、労力も「手間換え」にして皆で助け合うのは如何でしょうか。
 そうすれば、コストの競争力しか持たない人たちは近づかないと思うのですが。