【Vol.69】理解度と距離

 最近、凄い発明に出会いました。長年この仕事をしている中でもトップテンに入るような発明です。ある材料を製造するのに、今までは100日くらいが必要だったのに、たったの1日で済むようにしてしまったのです。しかも様々な組成の材料を、同じ設備で同時並行的に作ることも可能です。文字通り「血が騒ぐ」状態になった私は、この優れた発明の事業化のお手伝いを始めたという訳です。

 何回か、その方の所属する研究機関にお邪魔するようになって、あることに気付きました。それは、この大発明に対する認識と言いましょうか、理解度が極めて低いという事実です。呆れるほどと言っていいくらい、周囲の人たちは無関心で、当然、支援しようなどとは考えていないようです。機関のトップも残念ながら理解しているとは言えないような状態で、結果、発明者は「孤軍奮闘」状態で頑張っているのです。先日も帰り際の立ち話で、半ば自嘲的に笑っておられました。

 帰りの新幹線の中で、素晴らしい発明に触れた興奮と、その逆の割り切れない気持ちとが入り混じりながら、同じような事を過去にも経験したのを思い出しました。そうです、同じように素晴らしい事に対する周囲の「低理解」が結構あったのです。それは大体が同じようなケースで、大発明と言えるようなものになればなるほど、この傾向は強くなるようです。
 理由はよく分かりませんが、敢えて推測すれば、それは無意識に起こる認めたくないと思う表れ、つまり「無意識の嫉妬」、または「近すぎる慣れ」ではないかと思うのです。人間ですから、神様のように祝福ばかりすることは出来ません。が、自分より優れたものに対する意識が、妬みや嫉み、そして鈍感な慣れでは寂しいものです。でも、無意識に出てしまうその心情は、結局人間らしさの結果かも知れません。

 何か哲学めいた話になってしまいましたが、人間の持って生まれた性癖と思えば簡単です。そのようなことが当り前と思えば、何ら悩む事もありません。そう決めて、好い事だけを考えているうち、ある方程式を発明しました。
 その方程式は 理解度=本人と関係人(もしくは周囲の人)の位置×距離です。
 つまり、発明者とその周囲の人との距離に正比例して理解度が決まるのです。遠くに居ればいる人ほど、その距離に比例して理解度は大きくなり、その逆に近い位置に居るほど理解度は小さくなる、単純な方程式です。
 この方程式を当てはめると、結構、今までに起こった理不尽な出来事を解くことが出来るようになりました。

 皆さんも思い当たる節がありませんか。会社内でのこと、お取引先でのこと、およそ人間関係から事業に至るまで、関係者との距離を考えると、文字通り「遠きを知りて近きを知らず」というのが本質なのです。
 ですから皆さん、少々家族の理解が得られないくらいで悩む事はありません。当り前の事なんです。
 えっ、私ですか。私のところは当然、反比例です。なんちゃって…。