【Vol.56】Mさん定年の日

 数ヶ月前、ある炭鉱会社で創業以来82年の歴史を閉じる事が正式に決まりました。
 私は1995年に、その会社と顧問契約を頂き、主に採鉱技術の横展開と知財強化のお手伝いをしていました。私にとっては初めての業種でしたので、ムリを承知で(通常、社外の人間が入坑するのはマレなのです)坑内に何度も足を運び、炭鉱会社の経営資源である技術やノウハウをくまなく知る事から始めました。入坑した回数は計31回に及び、石炭で顔を真っ黒にした作業員の中に混じって、本当に多くの事を学びました。陸(おか)の上(鉱脈は海水面の下800メートル)の常識は通用しない現場の体験は、驚いたり感動したりビックリすることばかりで、今でも走馬燈のように思い出されます。今思うと、あの経験は私の人生を変えるほどの貴重なものでした。

 そして先日、とうとう閉山の日が来ました。その日は私も知っていましたが、活字として目に触れたのは新幹線車内のテロップニュースです。
 『閉山する最後の日、鉱山に入る300人の一番方……』
 「ああ、ついに終わってしまうんだ」。表情の無い活字につぶやきながら、私はMさんのことを思い出しました。

 Mさんは多くの炭鉱マンがそうだったように、部外者の私を優しく迎えてくれました。素人の私の的外れな質問にも丁寧に答えながら、坑内の隅々までを案内してくれました。実直そのもの典型的な鉱山(ヤマ)の男です。私を先導して前を歩く足取りは、足場の悪い坑道なのにサッサと身軽で、まるで忍者のようでした。
 また、私が強引に掘削機械を運転したいと言い出すと、「本当は資格が必要なんですよ」と言いながら、周囲に人がいないのを確かめて、優しくハンドルに手を添えてくれたものでした。

 ある日、坑内見学を終えて乗った人車(入・出坑時に作業員が乗る車。トロッコがワイヤーで繋がれたもの)の中で、「今日で定年なんですよ」とポツリ。「えっ」人車の騒音で聞き返すと、「今日が55歳の誕生日です」。炭鉱の定年は55歳である事は知っていましたが、当の本人は若々しい屈強な炭鉱マンです。まだまだやれるのに…。そんな事を考えながら坑口に上がり着きました。
 なかなか降りないMさん、私を先に降ろしてからゆっくりと人車の外に出ると、坑道を振り返ります。そしてヘルメットを外すと深々と頭を下げて、「有難うございました」。絞り上げるような声で一礼したのです。
 もう、他の作業員は坑口の外へ出ていてシンとした坑道にすうっと吸い込まれた声が、ある筈は無いのにこだまのように反響した気がしました。「Mさん、ご苦労様でした」。やっとの思いでそう言うと、涙が溢れ出して次の言葉が続きません。そのまま、二人で坑道の奥を見続けながら、一体どのくらいの時間が経ったのでしょうか。

 Mさんの定年の日を思い出しながら、この国を支えたエネルギー産業の終焉を、単に「黒いダイヤの価値が無くなった」と総括するのではなく、かつてこの国の何処にも在った、「一生を捧げる価値のある職場の消滅」と考えるのは、私のセンチメンタルなノスタルジーなのでしょうか。