【Vol.54】御用聞きが未来を拓く

 最近、講演で話すことの一つに、「御用聞き」があります。若い人は、「ああ、あの時代劇に出てくる十手・取り縄を持った人?」なんて言われますが、そうではありません。
 昔は、何処でもそうだったと思いますが、八百屋さんなどは、お客さんの家に出向いて、注文を取って回ったものでした。私の家にも、八百屋のケンちゃんがよく来ていたものです。我が家とは随分長い付き合いでしたから、「こんちはー」と裏口から入って来て、勝手に台所に上がり込んでは、棚を開けて足りないものを補充するようにして、商品を販売していたものです。
 少々の分析と解説をすれば、訪問販売と言えなくもありませんが、もっと顧客に近い、或いは一体化したような感じの営業スタイルです。今思えばノンビリした話ですし、逆に、そんな他人任せで大丈夫かとビックリされる方もおられるかも知れません。でも、私の母はケンちゃんには絶対の信頼を寄せていたので、何も不都合はなかったし、何より、商品価格に高い安いといった、クレームを付けることは全く無かったような気がします。
 実は、私は、この御用聞き営業が、未来を拓く重要な営業手法ではないかと、最近、強く思い始めたのです。それは、私達の将来を明るくする大切な本質が、そこにあると思ったからです。

 言うまでもなく、高齢化社会の基本的な問題は、買い物など、高齢者に負担になる事を、どうやって解決するかということです。高齢者は、若い人のように自由に車で移動することも出来なくなりますし、重い荷物を運ぶことも出来ません。何より、ボケたりすれば、お金の管理も出来なくなるでしょう。大げさに言えば、日常の生活に必要なことが、身体は(それなりに)健康なのに、出来なくなる恐れがあるのです。大家族時代は、そのようなことはなかったのですが、今後は正に深刻な問題になってくるでしょう。

 このような時代に、昔のような御用聞きさんが、当り前のような存在になったとしたら、どんなに便利でしょうか。それも、ただ便利ではなく、本当にケンちゃんみたいに、信頼できる人がいてくれたら、どんなに安心か、想像するだけでも楽しくなります。そうです、御用聞き営業の本質は、単なる訪問販売という営業形態ではなく、信託事業でもあるのです。
 この日本中に大勢のケンちゃんが現れて、あちこちの家に、「こんちはー」と言いながら上がり込み、お年寄りに声を掛けながら用事を済ませて行く。そんな情景を想うと、私も老いる事に何の不安もありません。そして、自分もできるときに、ケンちゃんをしなければと思っています。

 もう亡くなったケンちゃんに、今、本当に感謝しています。