【Vol.42】プラスのキャリアとマイナスのキャリア

 突然、何十年振りかと思うくらい、久し振りに友人からの電話です。「俺、転勤なんだ。それも、明らかに左遷なんだよ」。少々のことには動じない、もっと言えばふてぶてしいタイプが、篭ったような声で嘆いています。
 そう言われてみると、彼の社会人になってからのキャリアは、サラリーマンとしては洋々たるものでした。大学を卒業して入社以来、一貫して本社の中枢にいて、しかも、傍目に見てもオーナー社長に可愛がられ、その息子さんの代になっても、それこそ順風満帆に出世街道まっしぐら…だったのです。
 勿論、仕事は出来るし、周囲にも気配りを欠かしません。どう見ても死角も無く、これからも上昇気流に乗って行くだけ。と、本人は言うに及ばず、周囲の誰もが信じて疑わなかったのです。
 それが、突然の左遷。本人はビックリと言うより、虚脱感さえあったようで、「初めての挫折」、「これで、俺の人生のピークは終わってしまった」と、深刻に打ちのめされている様子です。

 私は、転勤(傍目には左遷)を決めた社長には会ったことはありません。しかし、この話には少々感じることがありました。それは、この友人は確かに優秀でソツも無いのですが、一点、失敗経験が不足していたのです。まあ、私のように失敗ばかりでも困りますが、要は、プラスのキャリアばかりが豊富にあっても、マイナスのキャリアを積んではいなかったのです。恐らく、この若い経営者は、その点を危惧したのではないか。彼を疎んじたのではなく、却って、より高みに臨ませるべく、敢えて一見左遷という手段に出たと、直感的に思ったのです。
 私は、そのことを率直に伝えました。「お前に足りないのは、挫折だよ」。暫く黙った後、「そう言えば、立ち止まったことや、まして、後ずさりしたことなんか、一度も無かった」と、呟きました。電話はそこで切れました。

 数日後、また彼からの電話です。「行って来るぞー」。今度は打って変って、それは明るい、元の彼の声に戻っていました。「ま、二年か三年、分からんがとにかく行くよ」。短いやり取りですが、彼はもう理解しているようです。
 マイナスのキャリアも、立派なキャリア。
 皆さんもそう思いませんか。